エビフライの尻尾を食べようとした瞬間に、「それゴキブリと同じ成分だよ」と言われた経験のある人は少なくないはずです。
以来、なんとなく残すようになったという声もよく聞きます。
その場で言い返せなかったという人も多いはずです。
この記事では、噂がどこまで本当なのかを確かめたうえで、次に言われたときにそのまま使える返し方まで整理しました。
結論から言えば、キチン質が共通しているのは事実です。
ただし、同じなのはその一成分だけで、材質そのものは別物です。
この記事の信頼性:金沢大学の研究発表、鳥取大学・東京農業大学の研究者による解説、噂の起点となった週刊ポストの記事など、出所をたどれる情報をもとにまとめています。
まずは、噂のどこまでが本当なのかから見ていきましょう。
エビの尻尾とゴキブリは本当に同じ成分なのか
最初に、噂の核心部分を確かめます。
エビの尻尾とゴキブリの翅には、どちらもキチン質が含まれています。
この点だけを取れば噂は正しく、まったくのデマではありません。
キチンは、N-アセチルグルコサミンという糖が数百から数千個つながった鎖状の多糖です。
エビやカニの殻、昆虫の外骨格をつくる成分で、自然界にありふれた物質です。
つまりキチンを持っている生き物は膨大にいて、エビとゴキブリだけの共通点ではありません。
「同じ成分が含まれている」ことと「同じものである」ことは、まったく別の話です。
この記事で確かめていくのは、その差がどこにあるのかという点になります。
噂の出所は10年前の週刊ポスト
そもそもこの話は、いつから言われるようになったのでしょうか。
起点は特定できます。
噂が広く知られるきっかけになったのは、週刊ポスト2016年8月12日号に掲載された食べ物の雑学記事です。
NEWSポストセブンが2016年8月4日にウェブ公開しています。
記事にはこう書かれています。
「どちらも『キチン質』が主成分。
エビのしっぽだけでなく、カニなど甲殻類の殻やカブトムシなど昆虫の外骨格にも豊富に含まれている」。
もともとは「へえ、意外だね」という程度の雑学でした。
それがSNSで「エビの尻尾=ゴキブリ」という短い形に切り取られ、後半の栄養の話が落ちたまま広まったことになります。
10年かけて、元の記事とは逆の意味で伝わってしまった話だと言えます。
エビの殻とゴキブリの翅は構造がまるで違う
ここからが、多くの記事が触れていない部分です。
同じキチンでも、できあがっているものが違います。
エビの殻が硬いのは、キチンだけでなく炭酸カルシウムが詰まっているからです。
ゴキブリの翅は石灰化しておらず、構造そのものが別物です。
金沢大学の鈴木信雄教授らの研究グループは、クルマエビの殻でカルシウムが沈着する仕組みを解明し、2022年に学術誌『Aquaculture』で報告しています。
それによると、エビの殻はキチンナノファイバーとタンパク質が複合体をつくり、その隙間に炭酸カルシウムが充填される構造になっています。
つまりエビの殻は、鉄筋にコンクリートを流し込んだような複合材料です。
一方、ゴキブリの翅はキチンとタンパク質でできていて、カルシウムによる石灰化は起きていません。
同じキチンを使っていても、片方は石灰化した殻、もう片方は軽くて薄い翅で、素材としてはまったく別のものに仕上がっています。
本当に近いのは成分ではなく血筋
意外に思われるかもしれませんが、エビとゴキブリの近さを言うなら、成分よりもふさわしい話があります。
分子系統の研究では、昆虫は甲殻類から進化したと考えられています。
エビとゴキブリは、成分が偶然一致しているのではなく、そもそも近い血筋の生き物です。
甲殻類と六脚類(昆虫やトビムシ)を合わせて単系統群とみなす考え方を汎甲殻類(はんこうかくるい)と呼び、1997年にZrzavýとŠtysによって提唱されました。
それまで昆虫はムカデなどの多足類に近いとされていましたが、遺伝子解析が進むにつれて見方が変わりました。
キチン質が共通しているのは、たまたま似た素材を使っているからではなく、共通の祖先から受け継いだものだと考えるほうが自然です。
「成分が同じ」という言い方は控えめで、実際には親戚同士だったというのが今の理解になります。
それでもエビが食べ物であり続けていることは、変わりません。
ちなみに同じ節足動物でも、ダニはクモの仲間にあたります。
翅を持たないダニが「飛ぶ」と言われる理由は、エビとゴキブリの関係とは別の面白さがあります。
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キチンは人工皮膚として体に貼られている
キチンという言葉に不潔な響きを感じている人もいるかもしれませんが、実際の扱われ方はその逆です。
キチンは医療材料として実用化されており、火傷や皮膚欠損の患部に貼る創傷被覆材、いわゆる人工皮膚に使われています。
鳥取大学農学部の東和生准教授による解説によれば、キチンを不織布にした創傷被覆材「ベスキチン®W」(ニプロ株式会社)は、1989年に人の患者への臨床応用が発表され、現在まで製品化が続いています。
動物用の製品も1992年に登場しました。
作用の仕組みとしては、血小板の凝集能を強め、血小板由来成長因子の放出を促すことが報告されています。
東京農業大学の中西載慶元副学長も、シート状のキチンを患部に貼り、皮膚が再生するまでの保護膜として役立てていると紹介しています。
皮膚が失われた患部に直接貼る素材として承認されているものを、「汚い成分」と呼ぶのは無理があります。
噂が広まる過程で、キチンという言葉にゴキブリの印象だけが乗ってしまったということです。
ゴキブリが不潔なのはキチンのせいではない
では、ゴキブリに対する嫌悪感はどこから来ているのでしょうか。
ここを整理すると、噂の構造が見えてきます。
ゴキブリが不潔とされるのは、体をつくっているキチン質のせいではなく、通ってきた場所で付着する雑菌やウイルスが理由です。
ゴキブリは排水口や生ゴミなど、細菌の多い場所を移動します。
その体表に菌が付いたまま食品や食器の上を歩くため、衛生上の問題になります。
問題なのは経路であって、材質ではありません。
同じ素材でできた包丁でも、洗ってある包丁と土に埋まっていた包丁では扱いが変わります。
キチン質が共通していることと、衛生的かどうかは、そもそも別々に判断すべき問題です。
ゴキブリそのものを家から遠ざけたい場合の具体的な方法は、下記の記事で扱っています。
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エビの尻尾は食べても大丈夫?
噂の背景がわかったところで、実際に食べていいのかを確認しておきます。
加熱調理されたエビの尻尾は、食べても差し支えないとされています。
ただし硬さがあるため、噛み切れない場合は無理をしないほうが安全です。
尻尾に含まれるキチンは人の消化酵素では分解されにくく、食物繊維に近いはたらきをするとされています。
栄養面では、キチンのほかにカルシウムやアスタキサンチンも含まれます。
一方で注意点もあります。
しっかり加熱されていない尻尾は硬く、小さな子どもや高齢の方、消化機能が弱っているときには向きません。
また甲殻類アレルギーのある方は、尻尾に限らずエビ全般を避ける必要があります。
食べられるかどうかは成分の問題ではなく、火の通り方と自分の体調で判断するものだということになります。
エビの尻尾を食べる人は3人に2人
自分だけが気にしているのだろうかと思った人のために、実際の割合も見ておきます。
Jタウンネットの調査では、食べる派が512票で67.1%、食べない派が251票で32.9%でした。
およそ3人に2人が食べている計算になります。
一方で、地域によって傾向は分かれます。
メ〜テレ「ドデスカ!」が名古屋で132人に聞いた結果では、食べる派42%に対して食べない派58%と逆転していました。
食べる・食べないは好みや習慣の問題であって、正解があるわけではありません。
ただ、「ゴキブリと同じだから残す」という理由で食べていなかったのなら、その前提は成り立っていないことになります。
同じ理屈ならカニもカブトムシも同じになる
最後に、噂の論法そのものを見ておきます。
ここまで読むと、無理があることがはっきりします。
キチン質を持つ生き物はエビとゴキブリだけではありません。
「キチンが共通だから同じ」という理屈を通すと、カニもカブトムシもキノコも同じ扱いになってしまいます。
噂の起点になった週刊ポストの記事自体が、カニなど甲殻類の殻やカブトムシなど昆虫の外骨格にもキチンが豊富だと書いています。
エビとゴキブリだけを取り出したのは、後から広まる過程で起きたことです。
言葉としては成立しますが、意味のある比較にはなっていません。
この噂が広まったのは、キチンという共通点が本当だったからではなく、エビとゴキブリという組み合わせが強い印象を残したからです。
同じ材料の話でも、選ぶ相手を変えれば嫌悪感はまったく生まれません。
「ゴキブリと同じ」と言われたときの返し方
ここまでの内容を、その場で使える形にまとめます。
相手を言い負かす必要はなく、噂のどこが飛んでいるのかを一言で示せば足ります。
いちばん効くのは、カニを持ち出すことです。
キチンを理由に同じだと言うなら、カニの甲羅も同じ理屈でゴキブリと同じになります。
カニを食べる人が大半である以上、この理屈では誰も説得できません。
「だから何」という反応が正しい理由
噂の出どころである週刊ポストの記事は、エビの尻尾を食べるなという趣旨ではありませんでした。
キチン質という共通点を紹介したうえで、後半で栄養価の話につなげる構成です。
つまり元の記事の結論に立てば、「同じ成分だから避けるべき」という主張自体が、記事の後半を落としたまま独り歩きしたものになります。
噂を否定しなくても、噂の使われ方だけが間違っていると言えば済みます。
エビの尻尾とゴキブリに関するよくある質問
エビの尻尾とゴキブリは同じ成分ですか?
どちらにもキチン質が含まれているのは事実です。ただし共通しているのはキチンという一成分で、素材としては別物です。
エビの殻とゴキブリの翅は何が違うのですか?
エビの殻はキチンとタンパク質の複合体に炭酸カルシウムが充填されて硬くなっています。ゴキブリの翅は石灰化しておらず、構造が異なります。
この噂はいつから広まったのですか?
週刊ポスト2016年8月12日号の雑学記事が起点とされています。NEWSポストセブンが2016年8月4日にウェブ公開しました。
エビの尻尾は食べても大丈夫ですか?
しっかり加熱されていれば差し支えないとされています。ただし硬い場合は無理に噛まず、小さな子どもや高齢の方は注意してください。
エビの尻尾に栄養はありますか?
キチンのほか、カルシウム、アスタキサンチン、タンパク質が含まれます。
キチン質は体に悪いのですか?
むしろ医療材料として使われています。キチンを不織布にした創傷被覆材ベスキチン®Wは1989年から臨床で使われ、創の保護や治癒の促進を目的に用いられています。
エビの尻尾を食べる人はどのくらいいますか?
Jタウンネットの調査では食べる派が67.1%でした。ただし名古屋では食べない派が58%と逆転しています。
ゴキブリが汚いのはキチン質のせいですか?
違います。排水口や生ゴミなど不衛生な場所を通ることで体に付着する雑菌やウイルスが理由です。
エビとゴキブリは味も同じなのですか?
味を決めるのはキチンではありません。キチンは人の消化酵素で分解されにくい食物繊維に近い成分で、それ自体に強い味はないとされています。エビの旨みはアミノ酸やアスタキサンチンなど別の成分によるもので、共通しているのは硬さをつくる素材の一部だけです。
エビとゴキブリは生き物として近いのですか?
分子系統の研究では、昆虫は甲殻類から進化したと考えられています。成分よりも系統のほうが実際には近い関係です。
カニの殻もゴキブリと同じ成分ですか?
カニの甲羅にもキチン質が含まれます。この論法を通すと、カブトムシやキノコまで同じ扱いになってしまいます。
まとめ
エビの尻尾とゴキブリにキチン質という共通点があるのは事実ですが、そこから「同じもの」という結論は出てきません。
エビの殻はキチンナノファイバーとタンパク質の複合体に炭酸カルシウムが詰まって硬くなった構造で、石灰化していないゴキブリの翅とは素材として別物です。
しかもキチンは、火傷の患部に貼る人工皮膚として1989年から臨床で使われている材料でもあります。
避ける理由になる成分ではありません。
面白いのは、成分よりも血筋のほうが実際には近かったということです。
昆虫は甲殻類から進化したというのが現在の理解で、エビとゴキブリはもともと親戚にあたります。
それでもエビは食べ物で、ゴキブリはそうではない。
両者を分けているのは成分ではなく、住んでいる場所と、そこで体に付いてきたもののほうです。
10年前の雑学記事が、後半の栄養の話を落としたまま「エビの尻尾=ゴキブリ」という形で残った——それがこの噂の正体でした。
次にエビフライを食べるときは、尻尾を残すかどうかを、噂ではなく火の通り方で決められます。